【人類最強】!? 衰え知らずの肉体を持つ男 その名はレブロンジェームズ

皆さんこんにちは、管理人のMiami3です。

今回の記事内容はタイトルにもある通り世界最強のバスケットボールプレイヤー、「レブロン・ジェームズ」の魅力について経歴、プレー、私生活の3つの面から迫っていきたいと思います。そして今回は経歴編です。ではどーぞ

*NBAの用語解説はこちら

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リーグ最高の経歴

 

レブロンが所属しているバスケットボールリーグはNBA(北米バスケットボール協会)であり、彼がそのリーグに所属するクリーブランド・キャバリアーズにドラフトされたのは今から約16年前の2003年ドラフトでのことでした。

 

しかしそもそも彼がリーグにやって来る前の段階、つまり高校生だった時点でレブロンは史上最高の選手になるのではないかと盛んに騒がれていました。

 

例えば、この写真を見てみてください

この写真は彼が高校生の頃に撮影されたものでアメリカの超有名スポーツ雑誌「Sports Illustrated」(スポーツイラストレイテッド)の表紙を飾った1枚です

 

いや~このころのレブロンはまだまだ若いですね(主にヘッドバンドから上)

 

そしてサブタイトルとしてThe Chose One(選ばれし者)というかっこよ過ぎて背負いきれないレベルの二つ名まで付けられるほどです

しかし冷静に考えればまだ17,8歳の高校生にすぎない(しかもアクロンという人口20万程度の地方都市出身)青年に対してとんでもないプレッシャーがかかったはずです

 

しかし、レブロンはそのプレッシャーのすべてを跳ね除けます

 

The First Step: 地元でのドラフト

 

まず最初の関門はドラフトでした。というのも2003年当時リーグ状況において所属選手の大半が大学進学後プロ入りするというのが普通の流れでした

そしてその時のレブロンはセイント・ビンセント&セイント・メアリー高校に通っていてオハイオ州内でもトップクラスの勝率を誇っていました

 

ところが対照的にオハイオ州をホームとするNBA球団の「クリーブランド・キャバリアーズ」はお世辞にも強いとは言えないチームでした。2002年シーズンの戦績は17勝65敗・・・

 

もう一度言います、17勝65敗ですよ・・・もはや同一リーグにいていいレベルじゃないですよね

 

しかしこれこそが怪我の功名というやつでしょう。日本のプロ野球とは違いNBAのドラフトはロッタリー制を導入しています

ロッタリー制とは簡単に言えば「前年度の戦績が低い順のチームが優先的に上位指名権を確保できる」という戦力均衡策の1つです。

 

これにより地元チームであるキャバリアーズが、レブロンのドラフトエントリー時に見事全体1位指名権を確保します。これには全オハイオが歓喜しました。

 

わたし自身は当時のことは全然知らないですがあえて例えてみます

広島県内の地方都市(すみません広島も詳しくないです汗)で小さいころから神童と騒がれていた少年が地元の高校に進学して甲子園まで進んでドラフトでカープに指名されたといったところでしょうか?

 

しかもその少年は将来王、長嶋に追いつき追い越せるくらいのポテンシャルがあると日本全国でも注目を浴びている。これで地元民が燃えない訳がないですよね(ちなみにこの燃えるは最重要単語です笑)

 

そしてドラフト当日、まさに全米が待ちに待ったその日にレブロンは地元の球団、クリーブランド・キャバリアーズに1位指名されました。

 

Second Step: 勝てない日々と遠い優勝

 

地元球団に入団したレブロンには当然バラ色の将来が待っている、周囲からの賞賛、自分の才能を存分に活かせるチーム体制、大量の契約金と美女たち・・・

 

とまあそんなわけがありませんよね

 

そもそもチームが弱いからドラフト1位指名権を球団が手に入れられたんだし、もしチーム作りをしっかりしてくれるフロント(球団経営とかをする部門)がいたら65敗もしませんよ、はい。

 

ただしチームが弱いということはチーム全体の方針として勝利より成長を求めることになります。これはルーキーだったレブロンにとって成長する大チャンスとなりました

 

彼のルーキーシーズンのスタッツは平均で20.9得点、5.9アシスト、5.5リバウンドと新人としては歴代最高クラスの水準です。更に2年目には平均27.2点、7.2アシスト、7.4リバウンドを記録して更に成長を遂げます。

 

当時のレブロンはあの神様”マイケル・ジョーダン”に追いつき、追い越せるくらいの存在にキャリアが終わるくらいにはなれるとリーグから、そして全米から期待されていました。正に【選ばれた者】だったのです。

 

例えばチームメイトの”ジドルナス・イルガウスカス”

 

彼は今までバスケットボールシューズを履いた者の中で最も成功を収めるプレイヤーになれる可能性がある

*ソース無し

 

と語っています。チームメイトがここまで手放しで評価するプレイヤー、まさに歴代最高のプレイヤーになる下地がこの時点で出来ていますね

 

しかしその時のレブロンは現在評価とはきくかけれたものでした。

 

最高のタレント(才能)を持っていると言われながらもクラッチ(勝負所)に弱い、ラストショットを決めきる勝負強さに欠けると、人気に反比例してメディアからは酷評されていました。

 

その後キャバリアーズは2005-6年シーズンから毎年のようにプレイオフに進出して2007年にはNBAファイナルの舞台にも駒を進めます。しかし、2009-10年シーズンまでの5年間で1度も優勝を果たすことが出来ずレブロンの20代前半は浪費されていきます。

 

チームの補強もうまく進まず、レギュラーシーズンでは最高の成績を残しても、プレイ―オフ敗退で責任はレブロンに擦り付けられる、そんな状況に嫌気がさしてきたことは想像に難くありません

 

そこでレブロンは全米中を激論の渦にぶち込んだある決断をします・・・・

Third Step: “The Decision”とマイアミへの移籍

 

2010年の7月8日、全米の人間があるテレビ番組に注目していました。番組名はThe Decision(決断)

この年レブロンはUnrestricted Free Agencyつまり「どこでも行きたいチームに行ける権利」を保有していました

 

当然クリーブランドの地元ファンたちは是非ともチームに残って優勝を追いかけ続けて欲しいと願っていました。また、多くのリーグ関係者や引退した選手たちもフランチャイズプレイヤー(チーム=そのプレイヤーといえるくらいの代表的な選手)として活躍を願っていました

 

しかしそこで発表されていた内容は超絶衝撃的な内容でした

 


In this fall… this is very tough… in this fall I’m going to take my talents to South Beach and join the Miami Heat. I feel like it’s going to give me the best opportunity to win and to win for multiple years, and not only just to win in the regular season or just to win five games in a row or three games in a row, I want to be able to win championships. And I feel like I can compete down there.[5][7]
— LeBron James

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Decision_(TV_program)

「非常に困難な決断だったが、この秋、この秋俺はサウスビーチのマイアミヒートに加わりそこで才能を発揮させるつもりだ。これが俺にとって勝利を、それも複数年勝利できる最良のチャンスだと感じている。俺が言いたいのはレギュラーシーズンを勝ち抜くって意味じゃない、5連勝や、3連勝したいって言っているわけでもない、俺はチャンピョンシップを追い求めたいんだ。そしてマイアミではそれが出来るって感じている」

 

 

1レブロンファンとしては最高決断だったと思っています

なぜならこの時マイアミにはリーグ最高クラスのガードであるドウェイン・ウェイドが君臨していました

また、クリーブランドより更に北のトロントからはリーグ屈指のフォワードであるクリス・ボッシュも加わりました

 

さらにマイアミはマーケットとしてもクリーブランドより充実しておりビジネス面でもプラスしかありません。しかしこの対応に全米が反感を持ちました。

 

具体的には地元のキャブズファンがブチ切れてレプリカユニフォームに火を点けて燃やした動画や写真をネットにばら撒き、それに便乗した全然関係ない、ファンでもない奴ら次々文字通り炎上動画をあらゆるネットメディアにぶちまけます

 

もちろんレブロンがこういったことを基本的にショー番組であるテレビを通して発表したことは多少咎められるべきかもしれませんが、それにしても反応常軌していました

The Forth Step: おっさんずの逆襲とエピソード5

 

レブロン、ウェイド、ボッシュの3人は3キングズと呼ばれ当時のリーグを圧倒しました。当時の雰囲気この3人はまさに帝国を築いているといった風でした

 

だいたい圧倒感で言うと

スターウォーズでデススターが初登場したくらいの衝撃をリーグに与えました笑

 

ほんとスターウォーズっておもしろいですよね

 

とにかくマイアミは向かうところ敵なしで当時イースタンカンファレンスに君臨していたボストンセルティクスを圧倒しました

レブロンはこのチームに勝てずに長く苦しんでいたのですが、今回はイースタンカンファレンスを制覇して見事ファイナルまでたどり着きます

 

この2010-11年シーズン、イースタンカンファレンスを勝ち抜いたのは若さ溢れるマイアミヒート、それに対して激戦のウエスタンカンファレンスを勝ち抜いてきたのはダラスマーベリックスでした

マブスはエースのダーク・ノヴィツキー、ベテランガードのジェイソン・キッドなど非常に統率が取れたチームでしたが、1つ弱点がありました、それは

 

スターター全員がおっさんだった

 

ことです

 

特にジェイソンキッドはこの時点で38歳、エースのダークノヴィツキーも33歳と少し旬が過ぎた感じがありました

*NBAの平均引退年齢が28歳くらい

 

ところが、このファイナルで大波乱がおこります。プレイオフで絶好調だったレブロンがファイナルの舞台で急ブレーキをかけてしまったことです

恐ろしくらいシュートが決まらない。華麗なパスも通らない。そして自慢のフィジカルを利用したプレーが身長が20cmも低い相手に止められる。散々な目にあって2-4でこのファイナルを落とします

 

メディアでは再びレブロンに対する中傷合戦が始まりました。特に多い批判が「レブロンがチョークした(怖気づいた)」というものです

ファイナルの場面でレギュラーシーズンのようなゴリラじみた、超人的な活躍が出来なかったせいです。しかし、ここで終わるChosen Oneではありません

 

後半に続く!

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