前回に引き続いてレブロンジェームズの経歴についてドンドン迫っていきたいと思います。それでは後編です、どーぞ!
*9000字超の超大作(笑)
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The Fifth Step: 初めての優勝と連覇・・・そして地元への思い
失意のうちに終わってしまった2011年NBAファイナル、下馬評ではレブロンら3キングズが率いるヒートが圧倒的に優勢と見られていましたが蓋を開けてみると何と2勝4敗でのシーズンエンドとなってしまいました。
しかしこんな所で落ち込んで落ちぶれてしまうレブロンジェームズではありません。
彼自身が言っていたとおり彼はレガシーを求めてサウスビーチ(マイアミ)にやって来たわけです
地元、ひいては全米のバスケファンからディスられけなされ、それでも勝利を、優勝を求めて世代最強選手たちとドリームチームを結成したのです。ここで引き下がるわけにはいきません
2011-12年シーズンは前年シーズンとは大きく異なるものでした。
まず、チームの構成が大分変化します。キャブズ時代からの盟友だったジドルナスイルガウスカスが引退を表明します。続いてリーグ有数のチームディフェンダーであるシェーンバティエを獲得してチームとしての地力を挙げることに成功しました
さらにレブロンの1番の親友であり長らくヒートのフランチャイズプレイヤーとして活躍してきたドウェインウェイドがある決断をしました
I wanted to give him the opportunity where he didn’t have to think about that. It’s kind of like I told him, ‘Listen, I’ll find my way. Don’t worry about me. I’ll be there. But you go out and be the player that we want you to be.http://www.espn.com/nba/playoffs/2012/story/_/id/7929717/nba-playoffs-wade-huge-sacrifice-lebron
「俺は彼がそのことについて考える必要が無いように機会を与えたかったんだ。つまり、俺は自分自身のやり方で貢献するよ。俺のことは心配するな、ちゃんとできるよ、だけで君は君にしかできない方法でチームを導いてくれ」
これは2012年当時のウェイドに対するESPN(アメリカの大手スポーツメディア)のインタビューの一部です
ヒートというチームが前年のシーズンでは一体誰をリーダとしていくのかが曖昧でした
日によってレブロン、ウェイド、また別の日にはボッシュとチームのコアが定まらず中々安定したケミストリー(チームのムード)が構築し辛い状況が続き勝率が安定しない
そのことにレブロンが余計な神経を使わずに済む状況をつくるという意味です
しかしウェイドは自身のチームで、自分が最も活躍するのではなく、チーム1の才能を持った男であるレブロンへその座を譲ることで自分は裏方へ回りチームを盛り立てていくという意思を語りました。
このことがヒート全体とレブロンのマインドに火を点けます。チームそれから絶好調でシーズンを迎え順調に勝ち進みプレイオフまで駒を進めます。
これが2012年シーズンのプレイオフの対戦表です
当時のイースタンカンファレンスで最大のライバルと目されていたのがボストンセルティクスです
セルティクスは2008年に優勝を経験していらい強豪としての地位を保っておりその上ヒートとは最大の被り要素が存在していました
それはレブロンたちが結成した3人のスタープレイヤーによるドリームチームのことを今でもビッグスリーと呼びますがこのビックスリー体制のオリジナルがこのボストンセルティクスでした
まず歴代最高のシューターとも言われる寡黙イケメン、レイ・アレン
左の人物はかの有名な俳優「デンゼル・ワシントン」であり、彼らは1998年公開の映画”He got game”にダブル主演として出演しています。内容は親子の絆とバスケットボールがテーマでした
そしてフォワードセンター枠には最優秀守備選手賞も受賞したKGことケビン・ガーネットが控えておりボストンの堅い守備を統率していました
ガーネットは熱すぎる男としても有名でした
度々試合中に相手選手と乱闘寸前までヒートアップしてテクニカルファール(通常のファールより重いファール)を課されることが非常に多かったのです
その一方でむき出しの闘志と熱意がチーム全体の指揮を爆発させ観客を盛り上げるというプラスの面も持った非常に多彩な選手でした
最後にボストンの魂、ポール・ピアース
彼の持ち味は非常にスキルフルなオフェンスではありましたが、何よりもクラッチタイムで非常に頼りになる存在であったことです
また精神、肉体ともタフで、クラブで刺されて重傷を負ったにも拘わらず(ちなみに刺された箇所は顔と首と背中)その後の試合に出場したりとヤクザ顔負けのタフさを発揮しています
彼らはオリジナルビッグスリーと呼ばれ非常にタフで粘り強いディフェンスが最大の武器でした。その上彼らを統率するポイントガードにはリーグでも屈指のエンタメ性をもったレイジョン・ロンドという若手ポイントガードでした
セルティクスとの戦いは激闘を極めて4戦先勝の7ゲームシリーズで何と第7戦までもつれ込みました。この時レブロンは彼の人生でも最高クラスのパフォーマンスを発揮します
敵地であるボストンで迎えた第6戦、レブロンはチーム全体の得点96点の内45点を決め、リバウンド15本、アシストを5本と5の倍数の神様に愛されまくった活躍を披露します
この勢いに乗ってヒートは第7戦も制してボストンを蹴散らし見事2年連続のファイナルへと進出しました。この最大の原動力となったのが他ならぬレブロンであったことは明白です
ヒートがNBAファイナルへたどり着くより一足早く反対側のウェスタンカンファレンスからは”オクラホマシティサンダー”が西の強豪たちを蹴散らして待ち構えていました
サンダーはラッセル・ウエストブルック、ジェームズ・ハーデン、ケビン・デュラントという若いタレントを擁した新進気鋭のチームでした。その上彼らは3人とものちにMVPを獲得するほどの才能とポテンシャルを秘めた存在だったのです
しかし、この強敵に対して一回り成長したレブロンたちは非常に効率的な試合展開で圧倒します
特にレブロンは持ち前のフィジカルを活かして自分より体格が劣る選手がマッチアップした場合はパワーで、自分より大柄選手が出てきた場合はスピードとスキルで、相手がダブルチーム(2対1の状況に持ち込むディフェンス)を仕掛けてきた場合は的確に味方選手へのアシストを演出しました
このシリーズは終始マイアミが優勢で何と4-1という結果で快勝を収めます
この時レブロンは自身初のチャンピョンシップを獲得することに成功しました。この時のレブロンの顔は歓喜で溢れかえっていて第5戦を地元マイアミで終えたことでアリーナ全体の盛り上がりも凄まじいものでした
こうしてレブロン・ジェームズは自身初の優勝とキングの座を確かなものとしました
しかし翌シーズンからはヒート自体がただの優勝候補ではなく、チャンピョンシップコンテンダー(前年の優勝チーム)としてリーグの残り29チームから追われる立場となりますます厳しい競争になることが予想されていました
しかしレブロン自身もこのタイミング更なる進化を遂げます
2012-13年シーズンに29歳となったレブロンはまさに全盛期に突入していました。その様はまさにあのお方を連想させます
また、ヒート自体も前年苦しめられたボストンセルティクスからリーグ1のシューターであるレイアレンを獲得するなど的確な補強をして、マイアミはレブロンに率いられて破竹の勢いで連勝街道を爆走しました
そしてNBA史上3番目に長い27連勝を達成します。この時のリーグ全体の合言葉が【Stop the Heat】(ヒートを止めろ)だったことからもこの時のマイアミがどれほど圧倒的な存在であったかがわかります
そしてヒートはこのシーズン66勝16敗という歴代屈指の好成績を収めてシーズンを終えプレイオフへと突入します
しかし、NBAというものの魅力が尽きない理由はいつの時代でも、どれだけ圧倒的であってもそれに見合うだけのライバルがリーグのどこかしらから出て来るところにあります
若干見えづらいですが蒸気が2013年プレイオフの対戦カードです
マイアミは順当にイースタンカンファレンスファイナル(ベスト4)まで上ってきましたが、その反対側の山からやって来たのが13年シーズン成績が3位だったインディアナペイサーズです
ペイサーズにあってマイアミには無い武器、それは高さでした
センターのロイ・ヒバートが2メートル18センチ、フォワードのポール・ジョージとダニー・グレンジャーが2メートル5センチ前後と全体的にマイアミよりは平均身長が高めで堅守が売りのチームでした
またエースのポール・ジョージは元々そこまでの実力を期待された存在だったわけではありません
しかし、前年シーズンから大幅に力を着けて見事スターの座へと上り詰めたある種アンダードッグ(ハングリー精神あふれる)的なプレイヤーでした。
ジョージのプレイヤーとしての持ち味は高いシュート力とハンドリング能力、フィニッシュまでのスムーズなプレイスタイルと非常に強烈な身体能力でした
また、それ以上にディフェンダーとして優秀でリーグでも数人しかいないレブロンと真っ向勝負の1オン1で争える人材でした。
さらにペイサーズを彩る選手としてリーグ最高のファンタジスタといえるランス・スティーブンソンがいました
彼はプレイのインパクト以上にその天性ともいえる他人をイラつかせて見方を鼓舞する盛り上げ役を担っていました
さらにはレブロンともこんな場面も(笑)
この後レブロンは完全に失笑していました。しかし、このふざけた態度からは想像できないくらいランスは熱くパワフルなプレイヤーです
彼らは前年度チャンピオンで今年度も優勝最有力候補だったヒートを第7戦まで追い詰めます
しかし最後の最後にスター軍団のきらめきパワーがペイサーズを圧倒して見事ヒートはNBAファイナルへと3年連続で進出を果たします
そしてこの時も一足先にファイナルの頂へと到達してレブロンたちを待ち構えていた相手は因縁の相手でした・・・・
レブロンがまだクリーブランドにいた頃の2007年シーズン、彼は独力でキャブズをファイナルへと導きました。その若きレブロンを叩きのめして4-0という結果で奈落の底に突き落としたのが、今シーズンファイナルへとやって来た”サンアントニオ・オスパーズ”だったのです
レブロンの永遠のライバル”サンアントニオ・スパーズ”
NBAでは長年言われていることがあります。それはリーグがイースタンカンファレンスとウエスタンカンファレンスに分かれている中その実力が西高東低であるということです
事実2000年から昨シーズンの2017-18シーズンまでの18回のファイナルの内13回がウエスタンカンファレンスのチームの優勝という結果になっています。
また、ウエスタンカンファレンスではそもそもファイナルの舞台にたどり着くことそのものが非常にタフな道のりです
そのためウエスタンカンファレンスの決勝(ベスト4)がファイナルそのものだと揶揄されることもしばしばです
そんな中この十数年間ずっと優勝候補といわれ続け、通算で5回のリーグ制覇を成し遂げたのがサンアントニオ・スパーズなのです。
スパーズのチームカラーといえば、白と黒と灰色という地味さを極めたコヨーテみたいな配色をしています(実際チームマスコットもコヨーテ)
そして何よりも彼らのプレイスタイルもチームバスケットという日本人が好きそうなスタイルです
スタープレイヤーのボール独占を許さない、チーム一丸となってパスを回しまくり、オープンとなった味方がラストショットを打つということを徹底したスタイルで長年強豪であり続けてきました。
その中でも彼らには「生え抜きビッグスリー」と言われる3人のスタープレイヤーがいました
まず1人目がティム・ダンカン、通称「Big Fundamental」(ファンダメンタルとは基礎の意味)と呼ばれるのスパーズの最重要選手です
身長は2メートル11センチ、体重は115キロと堂々たる体格を持ち1997年にドラフトされました
顏から見ても明らかに華が無いですね(笑)、ちなみにESPN(アメリカのスポーツ専門チャンネル)では「世界一華が無いスーパースター」と酷評されています
一方その実力は折り紙付きでスパーズは彼をドラフトしてから2013-14年シーズンまでただの1度もプレイオフ(優勝決定のトーナメント)進出を逃したことはありません
個人での受賞歴もすさまじく、新人王、MVP、ファイナルでのMVP、オールスター15回選出、オールNBAチーム(野球で言うベスト9)15回選出など数々の栄誉を手にしました
一部ではマイケルジョーダン以来最も成功した選手とも呼ばれています
次はNBA屈指の実力を誇るSG(シューティンガード)ながらベンチ出場をチーム戦術として受け入れ、チームに違いを生み出す男、アルゼンチン出身の「マヌ・ジノビリ」です。
ジノビリの本名は「エマニュエル・ジノビリ」といいますがNBAでは愛称であるマヌで知られています
彼の最大の特徴は悪魔に髪の毛を売り渡して手に入れた予測不可能な能力、その神出鬼没、変幻自在なプレイスタイルにあります
彼のシグニチャームーブ(選手を象徴する技)はユーロステップという独特のステップで現在のリーグでも完璧に使いこなせている選手は数人しかいません。しかし彼はこれを多用して非常に多くの相手選手を騙しました。
相手選手はまるでジノビリの一級品の魔法にかかってしまったかのように次々と陥落していきます。このプレイの巧さこそが彼の最大の持ち味です
3人目はフランスの英雄「トニー・パーカー」です
身長は188センチとNBA基準ではかなり小柄な部類に入りますが、圧倒的なスピードと高いシュート成功率=FG%を武器にしてドラフト下位指名からスターへとのし上がりました。
彼の圧倒的なスピードが生かされた相手は何も敵選手だけではありません。彼は何とチームメイトの妻にまで手を出して話題に一時期なりました。
まさに「やつはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの妻です」状態ですね(笑)
彼ら3人は並み居るウエスタンカンファレンスの強豪を蹴散らしてヒートより早く決戦の地に到着しました。さらにスパーズには有望な若手が後2人も揃っています
若手#1 カワイ・レナード
レナードは2011年にドラフトされこの時点では2年目の若手選手でした。慎重は2メートル1センチとNBAでは平均的ながら圧倒的に長い腕と、巨大な手を持ちディフェンスの才能を発揮しつつありました
*ちなみにカワイレナードとステファンカリーを比較する記事も投稿しましたのでそちらの方も是非!!
また非常に寡黙な選手でその点、スパーズの大黒柱であるティムダンカンと被る要素も持ち合わせておりスパーズの次代のスーパースターになり得る素材でした
*ラプターズの方に転職しました(笑)
このディフェンス能力とアンセルフィッシュ(献身的)な性格を買われてスパーズのスターターに定着していました
彼に特に期待されていたのはエースストッパーとしての役割であり、彼はそれをしっかりと果たしていました
若手#2 ダニーグリーン
ダニーグリーンはスパーズの有能なフロントが発掘した掘り出し物の1人でしょう
彼はもともとクリーブランドキャバリアーズに指名されましたが、そこでは才能の芽が出ずその後スパーズに移ります。しかしそこで高いディフェンス能力とシューターとしての技術を買われてスターターへと定着します
両雄激突する
ヒートとスパーズはまさに好ゲームを展開しまくります
ゲーム1と2はヒートのホームであるマイアミで始まりましたがレブロン以外のメンバー、特にウェイドがいまいち怪我の影響か調子が掴めず1勝1敗となります。この時ウェイドファンの管理人としては非常にもどかしかったのを今でも覚えています
その後ゲーム3、4と5ではスパーズのホームでありサンアントニオに場所を移しましたが、ゲーム3では大差で負けてしまい1勝2敗とリードを許しました。私個人としてはこの時もう終わったとすら思いました
ところがゲーム4ではレブロンとウェイドが2人とも大爆発しました。特にウェイドは今までの鬱憤を晴らすかのようにゲーム4で得意のドライブからのアタックを何度も成功させました
これで2勝2敗のタイにまで引き戻したヒートですが、続く第5戦は僅差ながら敗れます。この時点2勝3敗、4敗すれば負けの中もう崖っぷちです。
そして再びマイアミに戻り第6戦を迎えるヒートの面々。試合は一進一退で進みますが残り時間僅かでスパーズが2点リード、そしてフリースローのチャンスを相手には与えてしまいました。
ところがここからNBA史上屈指の名場面が誕生することになるのです。それでは下手な解説よりまず映像をご覧いただきましょう
残り20秒弱で3点差、ボールはヒートの正ポイントガードのマリオチャルマーズが運びます
そこからセンターのボッシュが相手のディフェンダーにスクリーン(行く手を遮り味方を自由にするプレー)をかけ、フリーになったレブロンが3ポイントを放ちますがそれがリングに当たり大きく外れます
この時点で99,9%ほどがスパーズの勝利を確信したでしょう
しかしそれから更にドラマがありました
弾かれたボールを見事にキャッチしたのは先ほどスクリーンをかけたボッシュで、そのまま歴代屈指の名シューターアレンにパスを出します
コーナーでそれを受け取ったアレンは何の迷いもなく綺麗な放物線を描くシュートを放ち見事に沈めてみせました
これにより同点に追いついたヒートは勢いのままに延長戦とゲーム7の勝利を手中に収めました
こうしてヒートは連覇を果たした数少ないチームの仲間入りをして、レブロンの偉大さは揺るぎないものとなりました
The Sixth Step: I’m Coming Home
2013-14年シーズンはNBAにとってもヒートにとっても節目の年となりました
今まで歴代で3チームしか達成したことが無い3連覇=スリーピートにヒートが王手をかけたからです
リーグ全体がヒートなら達成するのではないかと期待していましたがそこに待ったをかけた人物、もといチームがあのサンアントニオ・スパーズです。ホントに天敵みたいなチームですね(笑)
両チームは再びファイナルで激突するのですが、チーム全体の不調が相まってなんと1勝4敗となってしまいました
さらにリーグを騒がせたニュースがレブロンがこの年FAになったということです
FAとはフリーエージェントの略であり、基本的にどのチームとでも好きに交渉、契約が締結できる制度でレブロンクラスの選手は全米から引く手あまたでした
特にロサンゼルス・レイカーズ、マイアミヒート、ニューヨークニックスなどのビッグチームが何としてでもレブロンを勧誘したいとリクルート活動に邁進(まいしん)していました
が、レブロンの目に映っていたのは自分がかつて所属していた故郷のチーム、クリーブランドキャバリアーズだったのです
そして2013-14年シーズンを終えて、レブロンはFAとなりある決断をしました。それはかつて彼が全米から非難される原因となった”The Decision”をもじり”The Decision 2″と言われました
そして彼は “I’m coming home”というエッセイを発表して自身の決断を、ヒートを去り再びキャブズで優勝を目指すという意思を固めました。以下はそれの部分訳です
I’m doing this essay because I want an opportunity to explain myself uninterrupted. I don’t want anyone thinking: He and Erik Spoelstra didn’t get along. … He and Riles didn’t get along. … The Heat couldn’t put the right team together. That’s absolutely not true.
I’m not having a press conference or a party. After this, it’s time to get to work.
When I left Cleveland, I was on a mission. I was seeking championships, and we won two. But Miami already knew that feeling. Our city hasn’t had that feeling in a long, long, long time. My goal is still to win as many titles as possible, no question. But what’s most important for me is bringing one trophy back to Northeast Ohio.
わたしは自分自身のことについて誤解が無い方法で説明したいと思いこのエッセイを書いた。わたしは誰にも自分とエリック・スポールストラ(ヒートの監督)やパット・ライリー(ヒートの球団社長)がうまくいかなかったからだなんて誰にも思ってほしくない。ヒートという球団がうまくチーム作りを出来なかったせいだというのも断じて違う。
わたしは記者会見やパーティを開くつもりはない、この後すぐに仕事に取り掛かる
わたしがクリーブランドを去った時、わたしにはミッションがあった。チャンピョンシップを追い求めて2つを勝ち取った。だが、マイアミにはもうその経験があった(2006年の優勝のこと)だがわたしたちの都市は、もうずっと、長い長い間、その経験が無い。わたしのゴールは出来うる限り優勝することで、それについては疑問は無い。だがわたしにとってより重要なことはノースオハイオ(クリーブランド)に再び優勝トロフィーをもたらすことだ
In Northeast Ohio, nothing is given. Everything is earned. You work for what you have.
I’m ready to accept the challenge. I’m coming home.
ノースオハイオでは、簡単に手に入れられるものなど何もない、総てのものは勝ち取る必要がある。持ちうるすべてを尽くして取り組まなければならない
わたしはチャレンジを受け入れる準備が出来ている。わたしは故郷へと帰還する。
こうしてキングは王城の地へと帰還しました
最終編へ続く!!!
最後まで読んでいただきありがとうございます
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